【無料お試し読み】 大前研一ビジネスジャーナル No.6(「教える」から「考える」へ~世界の教育トレンド/日本人の海外シフト


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大前研一総監修ビジネスジャーナル第6弾

今回は、『「教える」から「考える」へ』と題し、"世界のどこでも通用する人材"について解説。

グローバル人材とは何か、いかに日本からそういった人材を生み出すかを考えます。


『大前研一ビジネスジャーナル No.6(「教える」から「考える」へ~世界の教育トレンド/日本人の海外シフト』Chapter1より


21世紀、答えのない時代の教育

●高度成長期の教育は「大量生産型」

 今、日本の国家戦略を考える上で一番大切な問題は「教育」です。世界に通用する人材をいかに育てるか。その意味で、日本の教育は、大きな問題を抱えています。

 明治時代、日本は欧米との国力の差を埋めるために、文明開化、富国強兵の旗印の下、教育に力を入れました。当時の日本は非常にオープンで、“Boys,be ambitious”で知られるウィリアム・スミス・クラーク博士※1など外国人をどんどん招聘し、日本の外からいいものを取り入れようとしました。

 第二次世界大戦後はスローガンを変え、工業国として加工貿易で発展していくことを目指しました。これに伴い、教育方針も大きく変わりました。クオリティの高い人材を一斉に育て産業界に提供する、いわば「大量生産型」です。このやり方が大成功して、日本は世界第二の工業国家になりました。米国のように「個」を重視する教育をしていたら、これほど効率よく「工業国家日本」を築くことはできなかったでしょう。


●従来型教育では新興国に勝てない

 「大量生産型」教育の特徴は、どこか別の国、他の誰かが既に出している「答え」をいかに早く覚え、再現するかに重きを置いているということです。コストを下げ、スピードを速くするための創意工夫をして、誰よりも早く、いい製品を作って安く売るというビジネスモデルは、この教育から生まれました。

 「答えが分かっている」人材をたくさん育てるために、全国どこへ行っても同じような教育が受けられる「学習指導要領」というものを作りました。このやり方がうまくいったので、「拍手喝采!アンコール!」と言って同じ曲を何度も繰り返すところが、当時の文部省の浅はかさです。21世紀に入って世の中は変わりました。従来型の教育では、国の競争力を高める人材を育てることができなくなっています。

 世の中がどう変わったか。二つの点で大きな変化が起こっています。一つは、「大量生産型」の教育に取り組む巨大新興国が増えてきたことです。たとえば中国の人口は日本の10倍以上。大学生だけで、年間およそ700万人の人材を育成しています。同じく日本の10倍の人口を擁するインドも、非常に優秀なプログラマーを多数輩出しています。このタイプの人材育成において、日本は数の上で、到底巨大新興国にかなわない。もしかしたら、質でもかなわないかもしれません。

 従来の日本の得意技を続けても先がない。こういう時代になっているにも拘わらず、最初のやり方がうまくいき過ぎたために、なかなか方向性を変えることができない。そうこうしているうちに新興国に抜かれてしまうという「イノベーターズ・ジレンマ※2」のような状況に陥っています。


●21世紀の先進国に合った教育とは?

 二つ目の変化は、「先生の無力化」です。学習指導要領に基づいて、全国一律に同じ教育を提供するというシステムの下、先生は学習指導要領の伝達者、エージェントになってしまった。これはもう、牧師さんと同じです。2000年前に書かれた聖書を開いて、「マタイ伝4章の3節を読ませていただきます」と講釈する。日本の先生の仕事も、本質的にはこれと変わりません。

 21世紀の先進国に求められるのは、牧師で言えば、自分が宗教をつくるとしたらどのような教義にするかというところまで考えられる人材です。新たな付加価値を創り出す人材を何人抱えているかによって、国家の力が決まる時代になっているのです。そして、クリエイティブな人材は、「大量生産型」の教育では生み出すことができません。

 たとえば今、自分がイエス・キリストに生まれ変わったら何を言うか。モハメッドになって再びこの世に降臨してきたとして、1500年前に自身が説いた教えをどう変えるか。豚肉を食べてはいけないと言ったけれど、冷蔵庫のある世界ならまあいいでしょう、などというように。こういうことを考えるのが、実は21世紀の教育なのです。みんなが自分なりの答えを出していくけれども、唯一の正解はない。

 マイケル・サンデル教授※3の講義がなぜ人気なのかと言えば、「答えがないから」です。たとえば「死刑について考えよう」とテーマを設定し、誰かが意見を述べれば「君の意見は大したものだ。それも一理ある」と応じる。別の誰かが正反対の指摘をすれば「その点が重要なんだよ、君」と言う。「サンデルさん、あなたはどう思うの」と問われても「私は司会者です」という姿勢を崩さない。要するに、最後まで「正解」を示さないのです。これが、まさに21世紀型の教育です。


●答えのない時代の教育

 ここ15年ほどの間に、爆発的な教育の力で優れた人材をたくさん輩出している国を見ると、いずれもこの「答えのない教育」を導入しています。Chapter3で詳説しますが、北欧諸国が顕著な成功例です。21世紀は答えのない時代です。既存の答えを効率的よく覚えることのできる人間は何億人もいます。これから先、問われるのは「あなた個人がどこまでやれるか」ということなのです。

 会社というのは、答えのない世界ですよね。最初から答えがあるのなら、会社などいらない。欧米に追いつけ追い越せ、あるいはゼネラル・エレクトリック(GE)※4の真似をすれば何とかなる、という時代は終わりました。これから先進国に追いつこうとする途上国ならともかく、自分の頭で考えることが求められる先進国の現実に、日本の教育制度はまったく合っていない。現実の世界、企業の置かれている状況がどんどん変化しているにも関わらず、日本の教育は旧態依然として一向に変わりません。これはきわめて深刻な問題です。

 では、どうすればいいのか。文部科学省主導で教育制度を変えるというのでは、大幅な改革は無理でしょう。文科省が考える教育と21世紀の現実に合った教育では、そもそもの土台、基本的な考え方や目的があまりにも違いすぎます。ですからこの問題は、「自分の頭で考える」ことの重要性に気がついた皆さんが、家庭や企業、あるいは自治体で、それぞれ先取りして実践していく必要があるのです。教育改革の道筋に関しては、Chapter5で詳しく述べます。


●平均的な人材より、抜きん出た個人を育てる

 図-1を見ていただきたい。日本の教育の限界と今後の方向性について、分かりやすく図示したものです。前述のように、従来の工業化社会・加工貿易立国モデルは完全に行き詰まっています。21世紀、答えのない時代の教育は、突出した能力を持つ個人の育成を目標にしなければならない。「米国、欧州、世界中どこを探しても、あんなすごいやつはいない」と言われるくらいの人材を、それぞれの分野で育てる必要があります。その個人が付加価値を創り出し、1人につき10万人を食べさせていく、今はそういう時代です。平均的なレベルを上げても、物量で新興国にはかないませんから。国際競争力を発揮するために、教育の目標も大きく舵を切る必要があります。


●日本の教育は「答えがある」ことが前提

 日本の教育は、初等・中等教育から、すべての質問に答えがあることが前提になっています。授業内容は学習指導要領からあまり逸脱してはいけない。「総合的な学習の時間※5」という、各学校が学習テーマを決めることのできる時間が週に数時間ありますけれども、それ以外に先生の裁量で使うことのできる時間はほとんどありません。学習指導要領に書かれている「答え」を覚えたかどうか、最終的に試験でチェックします。試験が終われば、一夜漬けで覚えた内容は端から忘れてしまいますし、そもそも、最初から答えが分かっていることは、今はスマートフォン1台あれば大抵のことは調べられる時代ですから、ほとんど意味がないのです。


日本人のアンビションを奪ってきた「偏差値」

●偏差値が日本を萎縮させる

 それからもう一つ、日本の教育改革における最大の障壁は「偏差値」です。この偏差値というものが、日本人をアンビション(野心、大志)のない国民にしてしまった。そもそも、なぜ偏差値が導入されたのかと言えば、学生運動の象徴とされる東大の安田講堂事件※6の後、政府が強い危機感を持ったことに端を発しています。当時の世界は東西冷戦の最中です。米国に逆らってロシアや中国と結託し、政府を転覆させようと革命を企てる輩がいる。政府に逆らうような資質をあらかじめ封じようということで、「あなたは偏差値57」「あなたはもう少し上の偏差値63」というように、その人間の可能性をあらかじめ決めてしまった。若いうちに、人間にたがをはめてしまうのです。この偏差値の存在が、今の日本の若者、ひいては日本全体を萎縮させています。


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