【無料お試し読み】 StrategicMind 2014年新装版

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「経営者」「企業家」を志す方への"戦略的思考"の指南書です。


 『StrategicMind 2014年新装版 』第1章より


 何週間か前のことだった。私のところにある日本の旅行代理店からパンフレットが一枚届いた。「夢見るように美しい景色に囲まれて、スポーツをお楽しみ下さい」というのである。

 場所は伊勢志摩国立公園のなかでも、一番いいところ。入り組んだ海岸線と真珠の養殖で名高い〝理想〟の保養地で、「ゴルフ、テニス、アーチェリー、あるいはヨットなど、お好みのスポーツを――」と、大きな見出しの活字が踊っていた。

 私はかつて旅行ガイドとして働いた経験があるので、東京から志摩半島まで車に乗り続けの一泊の旅がどんなに疲れるものか、よく知っている。にもかかわらず、私はこのパンフレットをおもしろいと思った。いろいろと考えさせられる点があったからだ。

 ずいぶんときついスケジュールである。バスは土曜日の午前九時に東京を出て、三百二十キロ以上も走り、午後五時にやっと目的の保養地のホテルに着くことになっている。スポーツは、翌朝おやり下さい、とパンフレットは謳っていた。

 翌日運動したあと、午後の二時半にバスは東京に向かって出発する。東京に帰り着くのは、日曜の夜遅く、十時半になる。

 〝山また山の気高い尾根〟、〝澄み切った一面コバルトブルーの空〟、〝青い海〟、そして〝真珠の養殖いかだを点々と浮かべた、絵のような小さな入江の数々〟……。パンフレットが語る志摩の自然の美だ。しかし、このせっかくの自然の美も、スケジュールのとおりだと、楽しめる時間が少々短すぎるのでは、と私には思えた。

 電卓を出して計算してみると、小旅行に許された時間の四三パーセント近くがバスに乗っている間に失われてしまうことがわかった。寝たり、食べたり、風呂に入ったり、身仕度したり、家にいてもできる(そして、するのが当たり前の)ことに、あと四〇パーセントの時間が消えてしまう。

 とすると、スポーツのために残された時間は、たったの六時間半、全体のわずか一七パーセントしかないことになる。

 旅行の費用は百二十五ドルだから、スポーツができる時間の一時間当たりのコストは、ほぼ十九ドル二十五セントという計算になる。

 仮にテニスをするとすれば、この旅行に参加するよりも、三十分も車を運転すれば着く東京郊外のどこかのパブリック・テニスクラブに行き、十二ドルの料金を払って、その日一日テニスを楽しんだほうが、だれが考えてもずっと割がいい。

 旅行代理店が売り込んでいるのは、もちろん、〝環境〟も勘定に入れたさまざまな要素をひとまとめにしたもの、いわゆるパッケージである。お客は、普通、それをそのまま受け入れて百二十五ドルを支払うのだ。だれも、パッケージひとつひとつの要素にいくら金を出すことになるのか正確に知ろうとしたり、そのひとつひとつが間違いなく支出に値するものなのかどうか、知ろうとしたりはしない。

 コストを細かく調べるとしたら、さまざまなパッケージの構成分子のもつれ合いを解きほぐして、それぞれが全体の計画にどう貢献しているかをよく理解したうえで、実際に旅行が提供してくれるものに慎重に当たっていかなければならない。

 テニスに話を戻して考えてみると、このスポーツに関する限り、東京を離れずに、どこか地元のコートでラケットを握ったほうが、十倍も得なことは、自明の理だ。しかし、いまそんなことは承知のうえで、目を見張るような景色のお膳立てのなかでテニスをしたいのだと仮定し、いつも広告でお目にかかる伊勢志摩国立公園の美しさをぜひとも自分の目で確かめたい、と思ったのだとしよう。

 としたら、それはそれで意義があるのだから、お金を出すのは当然――ということになるのだろうか。

 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。だがここでもっと大事なことは、分析の結果、自主的な判断が下された事実である。あなたは、他人任せのパック旅行をそのまま受け入れて、その意味を考えようともせずに〝雰囲気〟なるものに金を払おうとするところだったのだから。

 分析は戦略的な思考の出発点である。分析無くして、戦略的思考はありえない。

 戦略的に物を考える者は、よく調和して一体となって見えるさまざまな問題や傾向、出来事や状況にぶつかったとき、それをそのまま受け入れることはしない。いわゆる常識でそれを一つのものと考えていい場合でも、またそうだ。

 戦略家は、それを解剖し、要素のひとつひとつを明らかにする。そして各要素が意味するものをしっかりと見きわめたうえで、最も自分に有利になるような形にもう一度組み立て直すのである。

 戦略の狙いに、ビジネスの場、戦いの場の区別はない。正確に攻撃すべき瞬間、退却すべき瞬間を判断するとともに、常に誤りなく妥協の限界点をはかって、味方に最も良い条件を実現させる。それが戦略の目的である。

 戦略家の思考を特徴づけるのは分析だけではなく、もう一つ、知的な弾力性ないし融通性がある。それによって戦略家は、灰色がかったさまざまな色合いの違いをきわめて正確に見分けることができるだけでなく、変転きわまりない状況に現実的に対応できることになるのである。

 事態を戦略的に把握するときには、まず、ある状況の構成要素のひとつひとつそれぞれの特質をはっきりと理解することに努める。そしてそのうえで、各要素を最も有利になるように、人知の限りを尽くしてそれを再構成するのである。

 現実の世界の諸現象や出来事は、いつも線型(リニア・モデル)に落ち着くとは限らない。というわけでひとつの状況を各要素にばらばらにし、それを望ましいパターンに組み立て直す最も信頼できる手段としては、システムズ・アナリシスのような、段階を踏む方法論は役に立たない。むしろ、究極的な非線型思考の道具である、あの人間の頭脳が役に立つのである。

 結局、真の戦略的思考というものは、線型思考に基づく、ありきたりの機械的なシステム思考とはまったく対照的なもの、というわけだ。といっても、それは決して、真の分解ないし分析の作業も経ずにすべてを直感に託してしまうやり方でもない。まったく別物なのだ(1―1図を参照)。

 どんなに難しい問題、前例のない問題にも、最善最高の解に達する道がある。ただしそれは、物事の真の実体に即した合理的な分析の組合せからのみ生まれてくる。非線型的な人間の知力を動員して、一つとして同じものがないたくさんの要素を豊かな想像力をもって再び一つにまとめ上げること、それが条件である。

 さまざまな挑戦、機会にそつなく対応し、成功を収める戦略を立てるとき、これは常に最も有効なやり方である。戦場であれ、市場であれ、その効果には何ら変わりがない。


本質的な問題点の摘出

 戦略的思考の第一段階は、状況を左右する本質的な問題点を正確に、しっかりと把握することである。

 問題に直面する者、だれもがそれぞれのやり方でその問題の核心に食い入ろうと努める。人によっては、どのやり方でもうまく行くと思うかもしれない。そして、努力が報われるか否かはそもそも運次第だ、と考える者がいるかもしれない。

 しかしこれは、決して運の問題ではない。私はそう信じてやまない。これは、あくまで対処の姿勢とやり方の問題なのである。まず出発点で、解決策の発見につながるような疑問点を明確に洗い出し、羅列することが、何よりも必要なのだ。

 たとえば、ある会社で残業が日常化してしまい、収益性の足を引っ張っていた、としよう。そして、「残業を減らすためには、何をすべきか」というふうに、考えたとしよう。すると、自然にたくさんの答が出てくるはずである。

●正規の勤務時間中に、もっと働く

●昼食時間や休憩時間を短くする

●私用の長電話を禁止する

 こうした考え方は、従業員全員の参加を前提にした無欠陥(ゼロ・デイフエクト)(ZD)運動や品質管理(QC)サークルの力を借りてコストの切下げに努める会社で、よく行なわれている。アイデアを広く募って、そのなかから良いものを選び出した後に、業務の改善計画に組み込んでいくのである。

 しかし、この行き方には、本質的な限界がある。というのも、設問そのものが解決策に結び付くように行なわれていないからだ。たとえていえば、対症療法的な問題のとらえ方がされているのである。

 話をもう一度、残業の問題に戻して、もっと問題解決に結び付く設問をしてみよう。

 この会社の働き手は、必要な仕事量をまかなうに十分な数がそろっているのだろうか。

 この疑問に対する答は、「はい(イエス)」か「いいえ(ノー)」の二つのうちの一つしかありえない。

 「イエス」という答を出すのには、大量の分析をしなければならないはずだ。おそらく、同業他社との比較、従業員一人当たりの仕事量、オートメーションとコンピュータ化の程度、およびその経済効果などを含めた、たくさんの分析が必要になるだろう。

 他方、売上記録、従業員一人当たりの利益、直間比、他社との比較などを慎重に検討したあと、もしも答が「ノー」と出ることがあれば、つまり、「目下人員不足である」と答が出るのだったら、これだけで解決策を得たに等しい。

 人員増というこの解決策は、一般的経営指標のすべてによって、有効性が実証されるはずだ。そして、当の会社がこの解決策を採用すれば、実際に望ましい結果が生まれてくるはずである。こんなふうに、客観的な分析は、情緒的な論議に取って代わることができるのである。

 けれども、設問の仕方は、これが唯一無二のものというのではない。次のように設問をしても、いいのではないだろうか。

 「従業員の能力は、仕事の性質に釣り合っているだろうか?」

 この設問も、前例と同様に、解決策指向型である。今度もまた否定的な答が出れば、それは仕事に適した人員の不足を意味するわけだから、スタッフを訓練するか、でなければ他社から有能なスタッフを引き抜いて、問題を解決すべきだ、ということになる。

 いっぽう、答がもしも「イエス」と出れば、それは、慢性的な残業が仕事の性質のせいではなくて、仕事の量のせいだということを教えてくれるわけだ。したがって、問題解決のカギになるのは、訓練ではなく、人員をふやすことだ、とわかる。

 設問が解決策指向的に行なわれ、適正な分析が実行されたならば、最終的な答は、出発点の設問の言回しが違っても、また、途中経過が違っていても、同じものになることが多い。いずれの場合にも、仕事の性質と量に関する設問が真の問題点を浮かび上がらせ、明快な判断を下すことを容易にしてくれるのである。

 正しい設問を行なうことがいかに重要か、これはどれだけ強調しても、強調しすぎることはない。適切な設問を生み出すよう訓練され、動機付けられている人たちは、多くの提案箱に例を見るような、あいまいな〝改善〟提案をすることがない。具体的であり、実際的である。

 


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